2009年06月26日

太宰治は自信家だった?

若い頃に太宰治の作品、人間失格などを何度も
読んだけれど、自信家であるような印象は
全くありませんでした。

読み手の人格によって、作品へのアプローチに
差があることは当然だとしても、そんなことは
若い頃にはわかりません。

仕事に余裕が出来て、中年になって文学作品を
読み直すことができて本当に有り難い。作家と
同年代だからこそ、はじめてわかるような、
感動があります。

太宰が入水した年齢を過ぎて、同じように家庭
を持つ境遇になってみると、「この人、思って
いたような人間じゃない!」と薄々勘づきはじめ
ました。

作品以外の資料を見ていると、その勘づきが
確信に変わります。それで、もう一度、作品を
読み直すと、意外と作り込んでいるんだなぁ・・
と作者の意図とは裏腹に、作者の人格があぶり
だされてきます。

こんな、文学作品の読み方は邪道なのかも知れ
ませんが、なかなか面白い。若い頃の太宰さん
の写真や言動を見ていると、自分が若い頃の
クラスメートに当てはめてみて、「高3の時の
あいつみたいな感じか・・」などと妄想を
ふくらませたり。

太宰さんに限らず、多くの大家と言われる人々も
神聖なものでは無く「動物としての男」の感情が
作品意外の行動や言動を探ると、それなりに見えて
くるように思えます。

その中でも、ちょっと太宰さんは「男」を抑えら
れていない方かな?。寂しがり屋などと、女性は
良い方にとらえがちですが、男から見ると、
だらしない感じがします。逆に、自由に振る舞えて、
うらやましい感じもするので、私のやっかみ
かも知れません。

※明治・大正と昭和初期の頃の”市井の風俗”で
 考えると、今より放漫であり、普通のこと
 だったのかも知れません。太田静子さんは
 市井の人では無かったので、太宰さんに対して
 それなりの手続きをしてから大雄山荘に
 招いています。
 

新聞のスクラップをスキャンしていただいた
のでアップしてみます。

太宰16歳「自信ある」.jpg

太宰優等生バッジ.jpg

太宰の銅像.jpg





posted by ピアノ at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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