2009年09月07日

『明るいほうへ』という詩集があったこと

『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』を
半日で読み終えました。太田治子さんの
文章が読みやすいことが一番にあげられる
と思います。それと、母・静子さんが残した
当時の日記からしか知り得なかった数々の
情報を読んでいると、他のどの著作よりも説得力
があり、生身の太宰治を描いた著作の決定版と
言えるものだと思います。

また、太田静子さんが『斜陽のモデル』という
文言が浸透していて、私自身も疑いなくこの
ブログのタイトルに含めていましたが、
これを機会に『斜陽の原作者』と変えさせて
いただくことにしました。寺内寿太郎の
「生まれてすみません」フレーズも同様ですが、
『斜陽』成立の流れを見ていると、後から盗作と
言われてもしかたないような状況・・・
と言っては言いすぎでしょうか?。

http://ameblo.jp/kimuraayako-official/entry-10090428532.html


全編を通して、父を突き放したような、あっぱれな
記述と、この作品の最後をかざる「正直で勇気ある男」
の記述には、少しだけ妙なコントラストを感じます。
娘ならではのジレンマが感じられて、それがとても生々
しく、嘘の無い印象を追加しているようにも思えます。
(帯にも「正直で勇気ある男」が大きく書かれて
 いるのですが、太宰信奉者へのスケープゴートに
 見えてしまっているような・・・。)


さて、ちょっとブラックな事ばかりで辟易されて
しまわれると困るので、本題の『明るい方へ』に
ついてです。

この題名を聞いて、金子みすゞさんの詩集
『明るいほうへ』 を思い起こされた方がどのくらい
おられるのでしょうか?。

太田治子さんの『明るい方へ』に対して、金子みすゞ
の詩集は『明るいほうへ』ですので、少しだけ違い
ます。何の関連も無いのかも知れません。明治36年
と少し上の世代ですが、男性運が悪くて幼い娘さんを
残して命を絶った金子みすゞさんと、太田静子さんが
どこかで繋がっているように思えていたので、
私はとても驚きました。金子みすゞさんの娘さんは
母親に捨てられたような気持ちで、壮年までずっと
生きてこられたようです。太田治子さんはお母様
の太田静子さんと最後まで暮らしていけたのですが、
それは太宰が『斜陽』にメッセージを残してくれた
おかげだと思うと、かろうじて救われたような
気がします。

金子みすゞの『南京玉』を読んでみると、小さい
娘さんを残して命を絶たなければならなかった
ことは、衝動的であったり浅はかだったはずが無く、
苦悩と決意の現れだったことが理解できるように
思えます。

明治・大正・昭和の初期にかけて、理不尽な
理由で離婚させられたり病気になって、自死する
女性は現代よりもずっと多かったようです。

太田静子さんは苦労をスルーできる、底の抜けた
ような明るさを持ち合わせていたようで、
そのおかげでこのように娘さんが書く名作に出会えた
ことを感謝したい気持ちです。



posted by ピアノ at 17:02| Comment(1) | TrackBack(0) | 太田静子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。太田静子さんについてたくさんのことを知ることができました。ありがとうございます。

わたしも「明るいほうへ」は名作だと思いました。

教育テレビで放送されたドキュメンタリーでは治子さんが斜陽館に入るときの表情がこわばっていてそこに彼女に秘められたいろいろな思いがあらわれているように感じました。

明るいほうへ・・・とは何が明るいのかずっと考えています。太宰の愛情が感じられたのでわたしとしてはそれが明るいほうへ、となりました。
Posted by reiko at 2009年10月13日 12:08
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