2009年09月10日

太宰の遺書から伏せられた一文

ちょっと、太宰批判がエスカレートしてしまって、
ブログの趣旨を逸脱してしまっているようにも
思えますが、ネット上にあまりにも情報が少ないので
憶測に終始しないように注意しながら書かせて
いただくことにしました。


一般に、太宰治から妻の美智子にあてられた遺書は
以下のものとされています。(抜粋)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「美知様 誰よりもお前を愛していました」

「長居するだけみんなを苦しめこちらも苦しい、
堪忍して下されたく」

「皆、子供はあまり出来ないようですけど陽気に育てて下さい。
あなたを嫌いになったから死ぬのでは無いのです。
小説を書くのがいやになったからです。みんな、いやしい
欲張りばかり。井伏さんは悪人です。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2番目の「長居するだけ・・・」の前に「太田という女あり、
なんにも金銭の約束なし、山崎という女あり仕事の
上にも病気の上でも世話になりたり、」
という部分が
あったことは、どこかで記憶していたのですが、
ネット上にはほとんど見あたりませんでした。
唯一、「太宰府 山崎富栄と太田静子」というブログ
に東奥日報の記事として引用されています。(こちらの
ブログは大変勉強になります。)

昔、大学の図書館にあったようなマイナーな研究書
(文学界とか国文学とか)には引用されていたように記憶して
います。唐突で、「なんのことだろう?」と心にひっかかって
いた記憶が残っています。当時は、太宰の(小説以外の)
背景などは知らなかったので・・・。


太田治子さんが、新刊書で、ところどころで言及されて
いますが、「セイカツノコト シンパイスルナ」とか
「あなたひとりの生活のことなど、どうにでもなりますよ。
安心していらっしゃい。」と交際前に太宰が静子さんに
手紙を書いていることと、この遺書の非公開の部分
とは整合性がつかないと思います。子供が生まれて
2人になったら反故にできるのか?むしろ逆でなければ
敵前逃亡のそしりを受けることは免れません。

太宰が妻に対して、「太田という女が金の無心に来るかも
知れないが、相手にするな」と明示的に書き残すと
いうのは、どう考えても理解しがたい。友人に「子ばやい
女で困った」とか、「深入りした女がいて死にたいくらい」
とかグチをこぼすのは、多少くだらないが、しかたない
としても・・・。

また、静子さんへの遺書が無く(これは斜陽が遺書の
変わりとして太宰の中では完結しているのかも知れないが)
山崎富栄から太田静子に手紙をださせていることも
見逃せない行動です。この手紙の内容を太宰は知らなかった
かも知れませんが、少なくとも手紙を送った事実は把握
しているように思えます。しかし、内容から見て、
太宰がこの山崎富栄の手紙の内容を見たとは思えない。
太宰に見られることを想定して富栄が書いている風には
思えないことから、おそらく「太田さんには私が手紙を
書いておきましたからね!。その方が奥様にも娘さん達
にも良いでしょ。」「ああそうだね」と、太宰が「一筆
残す」と言い出す前に、一件落着にされてしまったように
感じます。

※連絡係に徹していたストレスをここぞとばかりに
 発散する。「わたしも」では無くて、「わたしは
 太宰さんが好きなので、ご一緒に死にます。」と、
 一方的に勝利宣言して手紙を送りつけた、山崎富栄
 の下品な攻撃を静子さんは本当にスルーできていた
 のでしょうか?。この手紙はあまりにもヒドイ。

憶測の域を出ませんが、死の直前の太宰は、隣にいる
山崎富栄を過剰に気遣い、もしかしたら、遺書の内容
にも富栄のコントロールが及んでいたのではないで
しょうか?。
(検閲までは無いにせよ、書いた後で富栄に「見せろ」と
 言われることを想定しながら太宰が書いた可能性は
 十分に予想できるのではないでしょうか?。)

本妻への敬意を表明することは、山崎富栄がお行儀よく
立ち位置を選んで、そこに納まり、お供することを
詫びることによって美化している風に思えます。
太宰も静子さんと治子さんのことは逃亡したい現実。
本妻に「一番愛してる」と言い残せるような隙間を
作っておくことは、富栄がお行儀の良い側室を
演じられます。太宰と富栄の利害が一致します。

※少しずつ、印税が入っていて、一般人に比べれば
 裕福な生活が出来ていたのだろうが、大地主の息子の
 経済観念では貧窮に近い意識が太宰にあったの
 かも知れません。全集の出版を想定していたと
 思えますが、それも死後のことなので、勘定に
 入っていなかったのかも知れません。だとしたら
 「救い」は残された本妻の美智子さんが全てです。
 無くなって数年後の檀一雄の行動に折衷してくれ
 なかったことは、かえすがえすも残念です。
(文壇や出版界が、太宰の版権を握る美智子さんを
 擁護したことも静子さんには逆風になったようです。)


檀一雄が太田母娘の困窮ぶりを見兼ねて津島美知子さんに
せめて「斜陽」の印税の内少しだけでも援助してもらえないか
と頼んだが、美知子さんは立腹してその場を立ち去った
http://oota-shizuko.seesaa.net/archives/200710-1.html






以下は、参考としてリンクとともに引用させていただき
ました。

●富栄が死の当日、同じ愛人の太田静子に宛てた手紙

「太宰さんは、お弱いかたなので、貴女やわたしや、その他の人達にまで、おつくし出来ないのです。
わたしは太宰さんが好きなので、ご一緒に死にます。 太田様のことは、太宰さんも、お書きになりましたけど、
後の事は、お友達のかたが、下曽我へおいでになることと存じます。」
http://www.gulf.or.jp/~houki/geijyutu/dazaiosamu.htm




 昭和23年6月16日、太宰と富栄が心中したときの東奥日報に、興味深い記事がある。

 ザラ紙●枚に書いた一通の遺書には
「太田という女あり、なんにも金銭の約束なし、山崎という女あり仕事の上にも病気の上でも世話になりたり、長居するだけみんなを苦しめ、こちらも苦しい、かんにんして下されたく、子供は凡人にてもおしかりなされまじく・・」
 とあった

 「太田という女あり、なんにも金銭の約束なし、山崎という女あり仕事の上にも病気の上でも世話になりたり」のくだりは公開されている遺書にはない。非公開の部分であるのか、誤報であるかどうかはわからない。
(http://olga1225.blog86.fc2.com/blog-entry-8.html)





posted by ピアノ at 10:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
フジコ・ヘミングが初めて世に紹介された、NHKの番組を観た、アンティークショップのオーナーから、「メアリちゃんみたいなピアニストがテレビに出てるのよ!」と深夜の電話がありました。
孤独に耐えてピアノにうちこんでいる天才ピアニスト、という点ではなくて、猫を愛していて、家にいっぱい飼っている、とか、レッスン室が古いヨーロッパの調度、というところがちょっとだけ、フジコさんの足元におよんでいただけなんですが。
先日は、大切なスペースに、パバーヌの動画をはりつけてくださってありがとうございました。
ラベルのパバーヌも、モーツァルトの二楽章も昔から好きな曲です。

今回は、メールアドレスを入れました。
メールでお伝えしたい事が以前からありました。
それは、太宰の作品の中での山崎富枝さん、美知子夫人、そして静子さんです。
ただ、あまりにも個人的な感覚による見解なので、コメントに書くのははばかられ、メールでお伝えできれば、と思いました。
不躾ですが、よろしければメールください。
ご都合で、メールをいただけなくても、まったく気にしません。

山崎富枝さんも、太田静子さんも、美知子夫人も、太宰文学の中で永遠の存在になっていて、どうかすると、ずいぶんオトナのように思ってしまいますが、今の自分よりずっと若いのです。

ピアノ様はもっと私よりお若いと思いますが、わたしは太宰が亡くなった年をぐっと、越えてしまいました!
わたしは静子さんに一番好意をいだいていますが、山崎さんの静子さんに宛てた手紙も、当時の若い女性としては仕方ないのかなと思えます。

また、ピアノ様がいつかおっしゃっておられたように、写真を見ても固い印象だった美知子夫人ですが、彼女自身の手による「回想の太宰治」を読んで、まったく変わりました。
太宰の母や、祖母、故郷のことを、そして、太宰の性格の弱点をも、暖かく見ている事です。

アマゾンでとりよせた「太宰治の女房」という作品も、なかなか面白かったですが、ピアノ様はいかがでしょうか。




Posted by メアリ女王 at 2009年09月10日 21:54
>>山崎富枝さんも、太田静子さんも、美知子夫人も、
>>太宰文学の中で永遠の存在になっていて、どうかすると、
>>ずいぶんオトナのように思ってしまいますが、今の
>>自分よりずっと若いのです。

これは、素晴らしい見解だと思います。本当に、そういう目線で見なければ・・・と感じました。

ただ、だんだんこのブログもおかしな方向に
進めてしまっているのですが、太田静子さんの
ファンクラブのようなもので良いと思っているので、
前々から気になっていたことを次の日記で書きます。
太田静子さんの境遇を明らかにしようとすると、
太宰の悪い面を明らかにしてしまいますし、
ことによっては作品の値打ちも落として
しまいます。また、太田静子さんの生前の秘めた
思いやプライドさえも傷つけて、結果として彼女の
人生を否定してしまう可能性さえあります。
(治子さんも同じジレンマにかられていると思います)

作品を味気なくしてしまうことは、この作家
だけでなく、ほとんどの作家の日常生活や作品外での
言動などを研究していると、とても多くおきて
しまうことです。ただ私が、一番好きな作家の
研究をしていて感じることは、やはり晩年に
どのような振る舞いをしたか?だと思います。

そういう意味で、若くして世を去った作家は
若気の至りのようなものも含めて、悪いエピソード
ばかり取り立てられることが多いので、損なの
かも知れません。

石川啄木がカンニングしていたとか、中原中也が
酒乱で絡んで暴れて手がつけれなかったとか、
夏目漱石がDVだったとか・・・。もし、夏目漱石
が七十才まで生きていたとしたら、生前のエピソード
にDVが取り上げられることは無かったようにも
思えます。

文学作品は、作品として、その文章だけを読む!。
(私生活に首を突っ込まない方が良いでしょう)


このブログに訪れていただく方の多くは、太田静子
さんがどのような方だったのか?を知りたい
ような少しマニアックな方だと思います。首を
突っ込んでしまったのなら、事実を知って
いたきたいと願っていることが根底にあります。

※現代の多くの一般的な読者は、作品を私小説と
 勘違いして読んでしまって、作家をとんでも無い
 人間だと思っていることが多いようです。
 そのような、あいまいな解釈で現代の読者層が
 成り立っていることも事実です。

しかし、当時の読者は、歌番組に出ているような
有名人として作家を見ていましたので、太宰の
ように深読みできる人間は、自分の生死さえも
エンターテイメント化してしまって、私生活も
演じきって死んでしまいました。

全裸になる覚悟があったのか?無かったのか?。
太宰本人は覚悟があったと思われますが、亡くなった
後の、とりまき連中の行動や言動は打算的で、
「長いものには巻かれろ」的だったことは否定
できないと思います。
(つまり幻想を能動的に与えようとしている)

「あはれわが歌」に太宰との寝室のことを書いて
バッシングを受けたことが、太田静子さんの
作家生命をあきらめさせた可能性が高いのですが、
まだ若かった太田静子さんを年配のとりまき連中が
助けず、むしろ責め続けたことも事実だと
思われます。

檀一雄のようにオトナの振る舞いをする人が
もう少し多ければ・・・。いつも、最後は
そう思ってしまうのです。そういう時代
だったとあきらめるしか無いのでしょうか?。
Posted by ピアノ at 2009年09月11日 09:34
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