2009年04月23日

太宰治の兄『圭治』

太宰の兄、津島圭治さんが、太宰よりも先に東京に
住んでいたようで、その兄が友人の作家に頼んで
工作したことが文壇デビューを実現したひとつの要素
だった可能性があるようです。

「圭治(五男)も太宰治の上京後間もなく病死」
http://www.ka.shibaura-it.ac.jp/kokugo/dazai04/b/03/index.html

しかし、上記のサイトに詳しいように、このお兄さんは
若くして亡くなったようです。この方が生きて
おられたら、太宰のその後の環境が変わることで、
太宰が残した作品も違った内容になったように
思えます。太田静子さんとの出会いも、
無かったのかも知れませんね。


太宰デビュー手助けfine.jpg

【中央文壇意識し著名作家名簿入手 太宰あてのはがき公表】
 中泊町小泊の小泊の歴史を語る会の柳沢良知会長(70)は20日、作家太宰治の旧制弘前高校時代の中央文壇デビューへの熱意を裏付ける資料として、太宰あてに送られたはがきを公表した。はがきには、当時太宰が主宰した同人雑誌を著名作家に寄贈するための名簿が記されている。
 はがきは8年前、当時、小説「津軽」の像記念館館長だった柳沢さんに持ち込まれた。あて先が「弘前市富田新町五七藤田様方 津島修治様 太田」となっている往復はがきの往信。「寄ソウ名ボを送ります」(原文)と始まり、佐藤春夫や谷崎潤一郎ら約50人の作家の名前や住所が記され「この中からとればいいでせう」(原文)と書かれている。
 柳沢さんが内容確認を依頼した太宰研究家で、岐阜女子大学名誉教授の相馬正一さん(80)=長野県在住=によると、送られた時期は太宰が同人雑誌「細胞文芸」を創刊した旧制弘高2年(昭和3年)5月以前とされ、差出人は当時東京にいた太宰の兄圭治さんの友人で、ともに同人雑誌「十字街」に加わっていた太田誥一さんだという。
 相馬さんによると、作家デビューを意識した太宰は圭治さんを通し「細胞文芸」に、中央の作家に有料で原稿を依頼するなど積極的に活動。今回公表されたはがきは同誌を著名人に寄贈するため、圭治さんに名簿を依頼し、圭治さんに代わって太田さんがはがきを出したものと思われるとしている。
 相馬さんは「当時、太宰が中央文壇を意識し自分を売り込もうとしたことは知られているが、それを裏付ける資料だ」と評価した。
 はがきは21日から、小説「津軽」の像記念館で一般公開される。柳沢さんは「意義あるものでびっくりした。太宰が有名になるまでの過程として知ってもらえれば幸い」と話した。

太宰デビュー手助け.jpg


posted by ピアノ at 09:04| Comment(0) | 津島 圭治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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