2019年09月12日

遺産9億円は多いか、少ないか

朝日新聞1998年1月8日夕刊

太宰治の妻、遺産9億円

 作家太宰治の妻で昨年二月、八十五歳で死去した津島美知子さんの課税遺産額が約九億四千万円であることが八日、東京・本郷税務署の公示でわかった。
 関係者によると、遺産は東京都文京区の自宅の敷地や預貯金など。長女の園子さんと次女で作家の佑子さん、園子さんの夫で養子の衆院議員津島雄二氏ら四人が相続した。相続税額は計三億一千万円に上ると見られ、すでに納付されているという。


読売新聞1998年1月8日夕刊

太宰治の妻、遺産9億円

 作家太宰治の妻で昨年2月、85歳で亡くなった津島美知子さんの課税遺産総額が約9億4千万円だったことが8日までに東京・本郷税務署の公示で分かった。
 関係者によると、遺産の大半は東京都文京区の自宅。美知子さんが継承していた太宰の作品の著作権は、死後50年近くたっているため、遺産としての価格はごくわずかと見られる。
 相続人は、長女の夫で養子の津島雄二・衆院議員、二女で作家の佑子さんら4人。相続税額は約3億円と見られ、すでに全額納付している模様だ。美知子さんは1939年、太宰と結婚。78年に「回想の太宰治」を出版している。


2008/12/507:24:27
1998年に太宰治没後50年ですから、その時点で印税はなくなりました。
奥さんの美知子さんが亡くなったのが1997年ですから、遺族としては印税をずっと受け取っていたことになりますね。

2008/12/507:35:35
太宰治は死後50年が経過し、著作権が切れているので、印税は発生していない。
現在も印税があったとしたら、印税の受取人は津島佑子などの法定相続人です。
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2009年04月25日

長篠康一郎さん

山崎富栄をネット上で追っていると、太宰治研究者として
知られる長篠康一郎さんのページ「DAZAI OSAMU鏡太郎ほめぱげ文庫」
が消えていることに気がついた。数年前にお亡くなりになった
ので、いつか消えてしまうのでは・・・と危惧していたが、
やはり無くなるようだ。生前に、収集した資料は神奈川近代文学館
に寄贈されていたらしいが、その情報も消えかけているので、
googleのキャッシュから拾って、下記に貼り付けておくことにする。

※鏡太郎ほめぱげ文庫は全てのページを当方でダウンロード済み

貴重な情報が満載だったので、復活を願うばかりです。


 長篠康一郎さんから蒐集した太宰治関係の資料を神奈川近代文学館に一括して寄贈したという話しを聞いたのは、何年前だろう。大分前のように思うが四年くらい前のことかもしれない。用事があって電話をかけると、神奈川近代文学館に保存してもらうことにしましたとポツリと漏らした。蒐集した資料の保存と散逸に悩み、そう決めたようだった。詳しい事は尋ねなかったが、その気持ちがわかるような気がした。蒐集した資料はある分量に達すると、個人所蔵のものであっても、公共性のようなものがつきまとう。散逸と破損を恐れるのは、当然のことだ。だが、その反面で資料を手放したことを幾分が寂しがっているふうにも思われた。太宰研究に生涯をかけた長篠さんにとって、資料は自分の分身のようなものだ。それは無理ないことだと思った。それから今日まで、私はこのことを忘れていた。
 長篠康一郎収拾太宰治文庫を閲覧する機会を与えられ、閉館間近い神奈川近代文学館を訪れたのは、十一月二十五日。忙しい最中だった。資料一覧と手紙その他の資料を閲覧したが、そこには太宰治に関する基本図書のほとんどが架蔵されていた。初版本が八十六冊。昭和十九年から二十三年にかけて発行された「展望」「人間」などの初出し雑誌と関連雑誌がこのほかに架蔵されているが、分量の上では各種の太宰治全集と作品集、それに膨大な量の研究書、研究雑誌が収められている。今日では入手困難な岸金剛の「太宰治の作品とそのモデル」、益子道江の私家版「太宰治」をはじめとする研究書、山内祥史の私家版限定雑誌「太宰治」、太宰論を掲載した「文学往来」、「西幡文学」などの同人雑誌などが整然と並んでいる。長篠さんの研究生活のすべてがここに治められている。私はそれに畏怖した。
 そして、この文庫に架蔵されている書籍と雑誌に刻まれている遥かな歴史を考えていた。資料検索と研究は膨大な時間と気の遠くなるような歩みのなかでおこなわれる。それは目に見えない。そういう悠久の歴史をもっているが、この文庫の白眉は、基本文献が揃っているだけでなく、太宰治が最初に結婚した小山初代に関する原資料と、太宰とともに死亡した山崎富栄関係の原資料があることだろう。
 小山初代関係の資料は全部で八点。もっとも古い資料は、昭和五年十一月二十四日に津島家から小山家に届けられた金五百円の結納の「覚」であるが、この日に起稿し、昭和六年一月十一日に?筆した「長女初代結婚記事」もある。太宰治の伝記資料としては第一等のものであるが、さらに昭和六年一月二十七日に兄津島文治と津島修治との間で交わされた、小山初代との結婚同居を続けるかぎり毎月百二十円を支給するという金銭援助の「覚」、昭和八年九月十八日から十二月十七日までの通学定期券、全集では年月日が不祥とされている小山きみ宛のハガキその他がある。展覧会や図録などでみたことはあるが、手にとってみると、生々しい感触がある。
 山崎富栄関係の資料は全部で十点。その内容は山崎富栄日記の写真版、大正十五年三月十九日付けの富栄の幼稚園終了の「保育証」、小学校の「卒業証書」と「優等証書」、太宰治の富栄宛のメモ、それに友人宛のハガキ五通などであるが、太宰の富栄宛メモに心惹かれた。「煙草と何かオカヅ(たとへば、カキなど)を買って、あなた自身とどけてください、寒いのに気の毒だけど、右おねがい」という日常的なメモであるが、太宰治の晩年の心象風景がそこに刻印されているような気がした。
(目白学園女子短期大学講師)

http://www.intacc.ne.jp/HP/sonata32/sirayuriki/nk/nk-kkb.html

ラベル:長篠康一郎
posted by ピアノ at 22:54| Comment(4) | あくまでも憶測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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