2009年07月05日

小説新潮『園子のマリ』

昭和24年に小説新潮に太田静子さんの「園子のマリ」
が掲載されていました。

表紙と、目次2枚と、この作品の最初のページ、
と次のページあわせて3枚の写真をアップしました。

t_sonoko_no_mari_0001.jpg

t_sonoko_no_mari_0002.jpg

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「お婆さんと牛の尻尾の話」が同じ年に「素直」に
掲載されていますが、あちらの方が読者に読みやすい
よう、意識して書かれている印象があります。この
「園子のマリ」は、複数の登場人物がそれぞれの
目線で物語っているように構成されており、客観性
を狙っているのかも知れませんが、ぎくしゃくした
印象で読みにくいものになっています。

同じ時期に発表されていることも手伝って、
「お婆さんと牛の尻尾の話」には添削者がいたこと
を想像させます。

「園子のマリ」は全部で18ページ。尾崎一雄氏
の「太田静子さんの小説について」の記述が興味
深いですね。



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2009年06月26日

太宰治は自信家だった?

若い頃に太宰治の作品、人間失格などを何度も
読んだけれど、自信家であるような印象は
全くありませんでした。

読み手の人格によって、作品へのアプローチに
差があることは当然だとしても、そんなことは
若い頃にはわかりません。

仕事に余裕が出来て、中年になって文学作品を
読み直すことができて本当に有り難い。作家と
同年代だからこそ、はじめてわかるような、
感動があります。

太宰が入水した年齢を過ぎて、同じように家庭
を持つ境遇になってみると、「この人、思って
いたような人間じゃない!」と薄々勘づきはじめ
ました。

作品以外の資料を見ていると、その勘づきが
確信に変わります。それで、もう一度、作品を
読み直すと、意外と作り込んでいるんだなぁ・・
と作者の意図とは裏腹に、作者の人格があぶり
だされてきます。

こんな、文学作品の読み方は邪道なのかも知れ
ませんが、なかなか面白い。若い頃の太宰さん
の写真や言動を見ていると、自分が若い頃の
クラスメートに当てはめてみて、「高3の時の
あいつみたいな感じか・・」などと妄想を
ふくらませたり。

太宰さんに限らず、多くの大家と言われる人々も
神聖なものでは無く「動物としての男」の感情が
作品意外の行動や言動を探ると、それなりに見えて
くるように思えます。

その中でも、ちょっと太宰さんは「男」を抑えら
れていない方かな?。寂しがり屋などと、女性は
良い方にとらえがちですが、男から見ると、
だらしない感じがします。逆に、自由に振る舞えて、
うらやましい感じもするので、私のやっかみ
かも知れません。

※明治・大正と昭和初期の頃の”市井の風俗”で
 考えると、今より放漫であり、普通のこと
 だったのかも知れません。太田静子さんは
 市井の人では無かったので、太宰さんに対して
 それなりの手続きをしてから大雄山荘に
 招いています。
 

新聞のスクラップをスキャンしていただいた
のでアップしてみます。

太宰16歳「自信ある」.jpg

太宰優等生バッジ.jpg

太宰の銅像.jpg



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2009年05月28日

素直復刊第1号『お婆さんと牛の尻尾の話』

昭和24年に留女書店から発行された、素直復刊1号
に太田静子さんの「お婆さんと牛の尻尾の話」が
掲載されています。表紙と、目次2枚と、この作品の
最初のページ、あわせて4枚の写真をアップしました。

「素直」の表紙
sunao_hyoushi.jpg

目次
mokuji2.jpgmokuji1.jpg


作品の最初のページ
obaasann001.jpg


編纂同人には尾崎一雄や井伏鱒二など6名が参加。
収録作品は川端康成、中野重治、田中英光、田宮虎彦
などの顔ぶれです。

「お婆さんと牛の尻尾の話」は全部で38ページ。
内容は、上等の毛布が無くなって、誰が犯人なのかが
気になってしかたない主人公の話です。読んでいる
うちに脱力するような、浮世離れした雰囲気の小説
です。挿絵も可愛いですね。

素直の最後のページには「近刊 あわれわが歌」と
記載されていて、近々、発売される予定の広告が
「放浪記第3部」などと並んで書いてあります。

定価は150円ですが、現在3500円〜6000円
で中古本として流通しているようです。



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2009年05月24日

「太宰治情死考」 坂口安吾

妻の津島美知子さん(昔、都留高等女学校で教師をされていた)のことを記述しているのか、太田静子さんのことを書いているのか、定かでは無いですが、面白い記述なので備忘録しておきます。おそらく、奥様をおもんばかって書いたものと思われますが、小説家ならではの表現だと思います。

『とるに足る女なら、太宰は、その女を書くために、尚、生きる筈であり、小説が書けなくなったとは云わなかった筈である。』

青空文庫「太宰治情死考」 坂口安吾
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43137_30135.html


坂口安吾が「とるに足る女」で無い・・・と言っているのは、山崎さんのことと思われます。

太宰の肉体は、かなり衰弱していたようなので、差し引いて考えなければならないが、前日に電車に乗って、ひとりで出かけているくらいなので、座ったり寝たりしながら小説を書くことは、まだまだ可能だったと私は思っている。

ところで、奥様の名前をYahooやGoogleで画像検索しても、ほとんど見つかりません。長篠康一郎さんの著作である「太宰治文学アルバム」には女学校時代からの写真がたくさん掲載されています。笑ってらっしゃる写真が無かったように思います。奥さんをモデルにした作品はたくさんあります。当時、女学校の先生は恐ろしく厳しいというのが相場ですので、−夫婦間ではそれほどでも無いのかも知れませんが−娘さんには厳しく接していたのでは無いでしょうか。
ラベル:坂口 安吾
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2009年05月07日

晩年の太田静子さんの優しさ

きっと、治子さんのことばかり考えていたのだと思い
ます。ピュアな愛情表現ができるような、美しい歳の
取り方をされていますね。

69歳というと、早世のようなイメージを持たれる
人が多いですが、太田静子さんは、十分に人生を
まっとうされたように感じます。

こういうエピソードは、残された者には心に刺さり
ます。治子さんの文章表現もシンプルでいて、
深い味わいがあり、涙が出そうになります。


『母の万年筆』より


病院での母からは、家にいた頃の頑固なおばあさんの面影がすっかり消えていた。ひたすらおとなしい、気弱なおばあさんとなっていた。
或る夏の夕暮れ、病室に入っていくと、母は嬉しそうに瞳を輝かせて、机の上のアルマイトの弁当編のフタをあけた。そこには、小さなスイカの切れ端が入っていた。お向かいのベッドのおばあさんからのお裾わけだという。

「さあ、食べなさい」

といわれて、思わず胸が詰まった。入院前には、大きいスイカの半分位、ひとりでペロリと平らげてしまう母だった。それが、アルマイトの弁当箱にすっぽりと入ってしまう程の小さいスイカを、見舞いにくる私の為に大切に残しておいてくれたのである。
今年の夏は、 ついに家では一度もスイカを食べられなかった。スイカの入ったアルマイトの弁当箱を、嬉しそうに開いた母の顔が、スイカを買おうとすると、どうしても浮かんでくるのだった。
まもなく、母の一周忌がやってくる。十一月二十四日の命日には、固い柿をひとつ、写真の前に供えたいと思っている。

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2009年05月06日

苦労されていた頃のエピソード

『心映えの記』より

寮母になる前、母は十一年間、倉庫会社の食堂の炊事婦をしていた。その食堂に、ある日、立派な着物を着た女性が入ってきた。母はその顔に、ばんやりと見覚えがあった。母より少し年下の彼女は、小さな女の子の頃、まんもるさまに診察されたことがあった。その昔の女の子が、まんもるさまの娘の母を突然訪ねてきたのだった。
茶碗洗いの手を休めて白いエプロン姿のまま食堂の裏口にでてきた母をみて、その女性はしばらく声もなかったという。ほとんどまとまった言葉もいわずに、とぶようにして帰ったというのだった。
「あれからしばらく、愛知川では、静子さんが炊事婦してなさるのは本当やった。ウソやなかった、という話で持ちきりどした」寮母時代の母に会いにきた愛知川小学校時代の母の同級生がいった。それまでは、娘時代の母を知っているだれもが、母がそのような仕事についているとは信じていなかった。ミニ・スカートをひるがえして愛知川の畦道を自転車で突っ走るモダン・ガールである一方、静子さんにはどこか箸を持ち上げるのも危うそうな、か弱い姫君の感じがあったからだと、寮母の母を前にしてその友だちはいうのだった。

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太田静子さんの「詩」

太田静子さんが、素晴らしく生き抜いたことを
証明できる「詩」だと思います。

『母の万年筆』より

新米をおいしいと思ったことも、ここ数年なかったように思う。ところが、思いもかけず、昨年の新米は実においしかった。 一粒一粒を、大切にかみしめて食べたいという気持が、自然に起こるおいしさなのである。年が明けてからも、私は、新米を、小さいソースパンで、二合ずつたいては、ひとりでせっせと食べている。食べながらふと、この新米を、昨年の十一月末、あの世にいった母も食べているのだと思うと、急に胸がつまってくる。
肝臓ガンの疑いで、内科に入院していた母は、外科に移される直前に、外泊許可がでて、家に帰ってきた。その晩、この新米を、やはリソースパンでたいたのだった。

「おいしい、おいしい」

と、母はいった。二、三日前から、ひとりでさしたる感動もなく食べていた新米だったが、その母の言葉で、本当においしいと気がついた。新米と一緒に食卓にだした焼きたてのランプ・ステーキも、われながらびっくりするほどおいしく焼けた。それが、母との最後の晩餐となった。

手術をひかえて
おわかれに 家にかえった
内科さいごの 週末だった
きようのよるの
思いがけない ごちそう
今年のお米
ビーフステーキ
あわび
いか
手づくりの あたたかい
心づくしのごちそう
ありがとう
ありがとう
一生のうちで
一ばん おいしい
ごちそうだった
わすれない


母が、メモ帳に書きのこした詩である。これをよむたびに、涙がでてくる。母はあの時、これがふたりだけの最後の晩餐になると、思っていたのだった。それに私は気がつかなかった。ただ、母がおいしい、おいしいと、食べてくれるのがうれしかつた。

posted by ピアノ at 23:07| Comment(0) | 太田静子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母の万年筆

最晩年の太田静子さんの優しさが心に凍みる。

229ページ
出版社: 朝日新聞社出版局 (1984/09)
ISBN-10: 4022552476
ISBN-13: 978-4022552471
発売日: 1984/09

母の万年筆
posted by ピアノ at 22:55| Comment(0) | その他、引用書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空からの花束

太田治子さんの娘さんとの楽しいやりとりなど、
エッセイとして面白く読める。太田静子さんの
情報は比較的少ないが、人格者として誰もが
敬愛する司馬遼太郎さんと、その奥様が、ひとり
になった治子さんを支えていたことが印象的。


単行本: 246ページ
出版社: 中央公論社 (1996/07)
ISBN-10: 4120025918
ISBN-13: 978-4120025914
発売日: 1996/07

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posted by ピアノ at 22:49| Comment(0) | その他、引用書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心映えの記

太田静子さんが亡くなった前後の出来事を中心と
したエッセイ。定年で仕事を終えた、最晩年の
太田静子さんの、まっすぐな生き方が伝わって
くる。


文庫: 288ページ
出版社: 中央公論新社; 改版版 (2005/8/26)
ISBN-10: 4122045711
ISBN-13: 978-4122045712
発売日: 2005/8/26

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posted by ピアノ at 22:41| Comment(0) | その他、引用書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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